創造原理で生きる

創造原理を学ぶ

勝共と反共の違い

まず、ブログ村に乱立するブログの中に、未だに民族主義を超えれない幼稚なブログが存在します。中には、韓国は民度が低い、日本は素晴らしい歴史を持ってきた等の話も登場します。私は、一体あなたは何を学んできたのかと聞いてみたいものです。


冷戦時代は、兄弟主義時代であると語られてきました。そして、冷戦終了となり、成約時代が到来し、父母時代が到来しました。アベルカインで言えば、民主主義と共産主義の関係です。それを超えるのが右でも左でもない神主義、頭翼思想であると、学びました。


おそらく、勝共活動を叫んでいた人は、本当は、勝共活動ではなく、反共活動を、行っていたのだと思います。それ故、冷戦が終わっても、同じ繰り返しをしているのだと思います。ここで勘違いしてはいけないのは政治と原理です。


多くの人が、中国と北朝鮮が、まだ、共産主義であり、冷戦は、形を変えて、東アジアで継続しているではないかと昨今の緊迫した国際情勢を叫ぶでしょう。しかし、あなたがもし、この事を理解していないのならば、昔と同じように、勝共活動を叫びながら、反共活動を行ってきたのと同じ繰り返しをしているということです。


神主義や頭翼思想には、右も左も抱え込む包容力があります。それが真の愛です。従って、勝共の結論は父母時代であり、反共の結論は兄弟時代なのです。どっちが正しいどっちが悪いというのは、兄弟時代なのです。もし、あなたが、私は、父母時代であると言える人は、氏族のメシアの立場に立てます。

基督教神学の再臨観の限界に関して

基督教は、第二イスラエル民族であり、再臨摂理においては、重要な位置付けにあるのは、よくわかる。 しかし、基督教神学は、イエスの言行が基準として築かれている。


従って、イエスが、私はまた来ると言った再臨迄しか説明のしょうがない。何故なら、イエスは、神の独り子と呼ばれていたように、地上で家庭を持てなかった。


それ故、呼称は、神の独り子なのであり、つまり、実体的な第一祝福完成者と見ているのである。


家庭の概念が実体ではないので、修道女達は、霊的な主の花嫁概念はあっても、イエスの子供をもうけると言う家庭の概念迄は行けない。


それ故、ダ・ヴィンチコードのような話が、当然異端扱いを受けるのは、基督教神学は、当然であり、イエスと聖書を越える事はないのである。


こう考えた場合に、イエスの基督教神学に限定されてきた再臨と言う概念を神の独り子、即ち、再臨主と言う位相のみならず、真の父母や平和の王と言った、第二、第三祝福完成の位相を持った天地人真の父母や現代の摂理を基督教神学で説明を食口に試みる事に何の意味があるのか?


更には、新約の勝手に創りあげられた表層的基督教を崇めている古参祝福家庭も多いが、祝福家庭が、どういう位置と価値と責任にあるかと言う事を明確に指導すべきである。


原理講師は、食口は、聖書を余り読まないから読みましょう的な指導のレベルを早く終えてほしいものだ。


組織批判だけやれば、それで、私は神側と考えている幼稚な思考では、外から見れば、単なるカルトの内ゲバと見られても仕方ない。

私が一番正しい症候群

まず、相対的価値観を考えて見よう。


頭が悪い人達が恥ずかしげもなく、あちらは、悪魔であるので、ぶっ壊さないと、いけないと、お互いに、議論している。こちらが善で、あちらが悪というのは、相対的価値観な訳だ。


しかし、自分達が、どちらも、善であると主張して譲らないと言うのは、言い換えれば、自分達が、絶対に善であると譲らない訳だ。


それ故、あからさまに、相手が、変わらなければならないとか、潰さないといけないと、恥ずかしげもなく、公衆の面前で、叫んでいるわけだ。


ここでポイントは、善であると主張している人は、私は善なので、全く変わる必要はありませんよ、変わるのはあちらですよと言っているのと同じです。


自分は正しいから、お前が変われの論理の向こうには、天国はきませんよ。なぜなら、相手のみが変われと言う、現状の自分を肯定しているんだからね。


そんな今の自分の現状の延長上に、天国が見えますか?あいつらは、許せないとか感情的に成っている人達が天国つくれますか?冷静になればわかります。


だから、私は、前回、頭が悪い人達といったんですよね。


今回は、こんなところで。 笑