創造原理で生きる

創造原理を学ぶ

基督教神学の再臨観の限界に関して

基督教は、第二イスラエル民族であり、再臨摂理においては、重要な位置付けにあるのは、よくわかる。 しかし、基督教神学は、イエスの言行が基準として築かれている。


従って、イエスが、私はまた来ると言った再臨迄しか説明のしょうがない。何故なら、イエスは、神の独り子と呼ばれていたように、地上で家庭を持てなかった。


それ故、呼称は、神の独り子なのであり、つまり、実体的な第一祝福完成者と見ているのである。


家庭の概念が実体ではないので、修道女達は、霊的な主の花嫁概念はあっても、イエスの子供をもうけると言う家庭の概念迄は行けない。


それ故、ダ・ヴィンチコードのような話が、当然異端扱いを受けるのは、基督教神学は、当然であり、イエスと聖書を越える事はないのである。


こう考えた場合に、イエスの基督教神学に限定されてきた再臨と言う概念を神の独り子、即ち、再臨主と言う位相のみならず、真の父母や平和の王と言った、第二、第三祝福完成の位相を持った天地人真の父母や現代の摂理を基督教神学で説明を食口に試みる事に何の意味があるのか?


更には、新約の勝手に創りあげられた表層的基督教を崇めている古参祝福家庭も多いが、祝福家庭が、どういう位置と価値と責任にあるかと言う事を明確に指導すべきである。


原理講師は、食口は、聖書を余り読まないから読みましょう的な指導のレベルを早く終えてほしいものだ。


組織批判だけやれば、それで、私は神側と考えている幼稚な思考では、外から見れば、単なるカルトの内ゲバと見られても仕方ない。